こんにちは 引きこもりです
今回は久々に究極散歩をしましたので、ブログに残しておこうと思います
(究極散歩とは、一体何なのか)
今回走ったのは、大雪山系を南北に貫く国道273号線
開拓時代囚人の強制労働によって築かれたというこの道路の史跡と、かつてここにあった鉄道路線 国鉄士幌線で使われていたコンクリート製アーチ橋梁群を一部ですが見てきました
これらのアーチ橋は、北海道開拓の歴史を伝える貴重な遺構として有形文化遺産に指定されています
なかでも糠平湖にあるタウシュベツ川橋梁(通称めがね橋)は、季節によって姿が見え隠れする様子から、幻の橋ともいわれ有名です。
例年6月頃から糠平ダムのダム湖である糠平湖に沈み始め、秋頃には沈んで見えなくなってしまいます。
僕は別に鉄道とかが好きというわけではないんですが、廃道や廃線、それに準ずる遺構みたいなものに大変興味があり申す
現状タウシュベツ川橋梁はいつ崩壊するかわからない状況ですし、今年は湖の水が増えておらずよく見えるということなので行ってみることにしました
2018年にもチャレンジしていましたが、マジでバカなので極寒の中雪が残りまくってるのに行こうとして断念していました。
過去の雪辱を晴らす男
↑橋梁群が見られるのはだいたいこのエリアです。
14のアーチ橋がありますが、森に入っていかなければ見られないところも多いです。
僕は国道から見られる一部のみ回りました。
もし興味がある人は以下の記事などを御覧ください
国道273号線を走っていると、ほどなくして立派な屏風岩が見えてきます。
ここには開拓時代、造材事業のために囚人が行った道路工事を記念して建てられた音更山道碑という石碑があります。
もはや碑文は風化してまともに読むことができませんが、横に碑文の内容と解説が書いたプレートが設置されています。
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- 碑文
山麓ヨリ山腹ニ至ル道程四里 大正七年六月十勝監獄ハ王子製紙株式會社、音更山事業請負人、関直右衛門之請ヲ容レ看守長坪菊之助ニ看守七名附シ囚人出役延人員六千ヲ督シ仝年九月竣工ス、工費五千圓ハ委託者ノ負担タリ 十勝監獄ハ明治廿八年創メテ帯廣ニ設置シテ道ヲ修メ地ヲ拓キ十勝國開拓ノ先駆ヲ為ス 音更山伐木ノ業モ亦監獄ニ依テ創業セラル 当時ノ山道崎嶇紆餘其困難名状シヘカラサルモノアリ 今ヤ工成ル 啻ニ事業者ノ利便ノミナラス、地方開拓ニ資スル事幾何ソヤ、即チ之ヲ記念トスト云爾 大正七年九月一日 典獄 木島正三 識 看守長武田又市 謹書
- 解説
国道糠平街道は明治25年釧路監獄の囚人の斧によって誕生する。 囚人はユウンナイ(糠平湖底)の大樹海を伐採し十勝開拓の建設資材にあてたのである。 当時の道といえば奇岩と断崖続く激流の縁に刈り分け道しかなく、囚人たちは背に食糧と作業具をかついで前進し冬は寒さをついて伐木にあたり、夏は音更川の水運を利用して越中渡場(音更町木野市街)まで流送するのであった。 大正7年十勝監獄はユウンナイまでの約16キロの道路開削工事にあたるのである。 糠平街道は当時「音更山道」と呼ばれ、述べ6,000人の囚人を酷使し3ヶ月の月日を費やして完成したのである。 完成記念碑の碑文は看守長が書き、誰が彫ったのか、なかなかの達筆である。 かれらが去ってから糠平温泉は発展した。 糠平ダムの出現によって音更山道の一部は水没、また碑の足もとを流れる音更川も当時とは比較にならぬ”小川”となり見る影かげもない。 だが、かれらも見上げたであろう見事な屏風岩だけは風雪にさらされながらそびえ立っている。 帯剣と銃の警備のもとに、黙々と汗を流したかれらの音更山道はいま脈々といきている。
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明治25年、囚人によってユウンナイ(現在の糠平湖周辺)までの山道が作られたのがこの道の始まりでした。当時開拓の建設資材とするため、このあたりの豊かな樹海を伐採して利用していたためです。
はじめは険しい樹海の中を進み、この屏風岩の下を流れる音更川の流れを使って木材を運搬していましたが、次第にもっと広い作業道が必要となりました。
そこで大正7年に十勝監獄の囚人たち6000人あまりが動員され、「音更山道」と呼ばれる道路がたった三ヶ月あまりでつくられたらしいです。
要約するとこんな感じだと思う
現在の価値観では考えられないような話ですが、彼らの過酷な労働が現在の道路や糠平温泉の発展に寄与したことは間違いありません。
プレートにも書かれておりますが、100年あまりも前 彼らも同じようにこの屏風岩を見上げていたであろうことを思うと当時の様子に心を巡らせてしまいます
ここに限らず、北海道の道はこのような人権を無視した強制労働によって作られたものも少なくありません。
あと調べてたらわかった事なのですが、なんかこの石碑元々ここにあったわけじゃなくて、山道にひっそりあったけど鉄道の工事の時邪魔だから川に捨てられてたらしい
悲しい
もうちょっと進むと、今度は今まさに通っている糠平国道が開通した際の記念碑があります。
何度か改良工事が行われ昭和44年には国道に昇格、昭和46年にはトンネルが開通し峠越えの道路となりましたが、未舗装区間も多く険しい道だったようです。
昭和57年に苦節13年の工事を経て開通に至ったことが石碑には記されています。
先程の音更山道碑も、この工事が着手された昭和45年に現在の場所へ移されたようです。
現代の自分は誰かが作った便利な道路や交通機関を享受しているだけですが、原始林を切り開いた先人の努力と犠牲を忘れないようにしたいものです。
国道の話が長くなってしまいましたが、次はいよいよ橋の方を見ていきます
普通に国道を走っていると最初に見えてくるのが第三音更川橋梁です。
広い駐車スペースや歩道がありゆっくりと見ることができます。
この橋は北海道に現存するコンクリートアーチ橋の中では最も古く、最も大きなアーチを持つものです。
傍らに解説文がありましたが、この橋の建設が成功したことをきっかけに大きなアーチ橋がたくさん作られるようになったらしいです。
また建設に際しての詳細な資料が克明に残されており、学術的にも大変貴重な橋のようです。
こちらは第四音更川橋梁です。
2つに分かれているように見えますが、川にかかる中央の部分には鉄橋がかかっていたらしいです。
先程の第三音更川橋梁とほぼ同時期にできた橋なので既に90年近くの歳月が経っていますが、今でもしっかりと立ち続けている姿は勇ましさを感じます。
そもそもこの路線でコンクリート橋が採用されたのは、大雪山国立公園に造られるにあたり景観の調和をはかることや原料の砂利などを現地調達できることが理由だったようですが、なぜこの部分だけ鉄橋だったのかは気になるところです。
道中ぬかびら源泉郷を越え走っていくと、タウシュベツ川橋梁がある糠平湖が見えてきます。
この辺から携帯電話は繋がらなくなります 田舎すぎる
道中道の傍らに大きなパーキングがあり、そこには三ノ沢橋梁という橋があります。
ここは遊歩道になっており橋梁の上を渡ることができる…のですが、現在は工事中で通ることができなくなっていました。
わかりにくいのですが、奥に見える橋っぽい部分が三ノ沢橋梁です。
この先は湖畔まで遊歩道が続いているみたいです。
あと同じパーキング内に森のトロッコ鉄道エコレールというアクティビティがあります。
元々線路が通っていた場所を足漕ぎトロッコで走ることができ、往復1kmの森林浴が楽しめるようです。
僕はぼっちなので乗りませんでした。
傍らにはクマ出没注意の看板があり緊張感があります。
今年の糠平周辺は特にクマの目撃が多いらしく、色々なところに注意書きが書かれていました。
クマはいませんでしたが、道中でっけ~鹿が道のすぐ脇で草食ってるのに3回くらい遭遇してそっちのほうが怖かったです。
さらに走っていくと、いよいよタウシュベツ川橋梁が見られる展望台の駐車場(くそややこしい)に到着します
けっこう人がいるっぽくて安心しました。
タウシュベツ川橋梁は勝手に近くまで行けるわけではなく、ツアーに参加するか道の駅から林道の鍵を借りるかしなければいけません
ツアーも鍵も予約がいっぱいで、今年は日程的に無理そうでしたので諦めました。
しかし
この展望台なら遠くからではありますが、通年24時間橋を見ることができます
多分夜に来る人はいないと思う
展望台まではちょっとした林道を通っていくことになります
道中は当時線路が敷かれていた跡や、推定樹齢300年ともいわれるミズナラの巨木などがあります
300年前といえば徳川吉宗が江戸幕府を治めていた時代ですので、その頃リスか何かが埋めたであろうドングリがこんな大木になっているんだと思うとロマンを感じます。
数分ほど林道を進むと、ついにタウシュベツ川橋梁が見えてきます
古代ローマの水道橋に例えられることもありますが、他の橋と比べてもどこか異国情緒があり美しい橋だと思います。
例年だと湖底に沈みはじめている時期ですが、今回は全体を見ることができました。
この橋はこの糠平ダムの完成にともない、1955年に打ち捨てられました。
年々崩壊が進んでおりますが、立地の悪さやさまざまな大人の事情から今後保存措置などを取る予定はないそうです。
橋としての役目を終えこのまま朽ち果てていくだけの運命ではありますが、そんなところに美しさを感じる部分もあります。
実際に見に行きたい方はなるべく早めに行くことをオススメします。
今回は突撃観光でしたが、今度は熊を倒せるくらい強くなって近くまで行ってみたいところですね。
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↓以下:エクストラ・ステージ
目的は果たしたのであとは適当に観光していきます。
タウシュベツ川橋梁からさらに北上し、三国峠の展望台までやってきました。
元々は山道をクネクネと曲がりながら進む険しい峠で冬季は通行止めになるほどだったようですが、この橋が完成したことで通年通行できるようになりました。
この写真は9月30日撮影なのですが、今くらいに行けばもっと樹海の木々が色づいて綺麗だったと思います。
余談ですがこのあたりにはオッパイ山と言われている山があります。
あおり運転されまくって停車できなかったので今回撮影は叶いませんでしたが、本当に見事な美乳でぜひ見てほしいので新聞記事を貼っておきます。
帰りがけ、幌加除雪ステーションにてトイレ休憩ついでに隣にある旧幌加駅跡を見てきました。
今や森の中にホームと線路が残されているのみですが、保存会の手によって綺麗に手入れされているようです。
昭和30年代には80軒ほどの建物があったようですが、今は見る影もありません。
なんとなく撮っておいたのですが、三枚目のレールを切り替える装置は結構珍しいみたいで実際に動かせるらしいです。
鉄道が好きな人はいいかもしれない
幌加駅跡の傍らにも橋がありました。(第五音更川橋梁)
こちらも大きな橋でかなり迫力があります。
熊が出そうな遊歩道を抜けていくと、橋のすぐ横まで行くことができました。
(フェンスが建てられ橋に入ることはできません)
幌加駅跡から続く線路道がいい雰囲気です。
除雪ステーション内には、トイレだけでなく防災システムの展示みたいなやつもありました。
こういうとこの警報装置、展示だとわかってても怖くて押すことができない
シャインマスカット味のファンタを買って再び走り出しました。
本物のシャインマスカットを1シャインマスカットとすると0.3シャインマスカットくらいだと思います。
最後にぬかびら源泉郷に寄り道しました。
ややひなびた雰囲気の温泉街ですが、そこがまた旅情を誘います。
写真の場所は過去記事でも来ていたひがし大雪自然館です。
このあたりの地域の自然や歴史、最新の情報などを発信している施設です。熊出没情報もここで見ました。
博物館も充実しており面白いので、近くを通る時は毎回立ち寄っています。
博物館にはこのあたりに生息する動物の剥製や標本がずらりと並んでいます。
魚類や水生昆虫に関しては生体展示もあります。
昆虫標本のコーナーは特に充実しており、東大雪地域の昆虫だけでなく世界の珍しい昆虫の標本までが大量に展示されています。
タウシュベツ川橋梁を見に来る際には一見の価値がある施設だと思います。
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今回は時間もあまりない中このまま帰宅しましたが、より詳しい資料が見られる鉄道記念館や糠平ダムの展望台などの施設を見落としていたのがやや心残りです。
タウシュベツ川橋梁以外のコンクリート橋もごく一部しか見られませんでしたので、来年以降またチャレンジしたいところです。
究極散歩は次回へ続く