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お題「好きなお笑い」

 

 ♥「大きの入ってる…ウレシイ…ウレシイ…」

     ア"ア!!ア"ア!!

    初体験はやっぱり痛かったですけど~ だんだんと気持ちよくなってきて…

    ア"ァ!!

   気持ちい♡気持ちい♡気持ちい♡気持ちい♡ おま○こ気持ちい アアンアアアンアアアアンアン♡

    ウケやってるときは相手の方が 気持ちよくなってくれれば満足です(人間の鑑)

    アァ♡

    ウレシイ♡ウレシイ♡ウレシイ♡ウレシイ♡ウレシイ♡なって

    気持ちい♡気持ちい♡アァ^~~~~♡

 

♣ウォッ!

  気持ちい!気持ちい!気持ちい!気持ちい!おま○こ気持ちい~い

  (気持ちい…)

 

♦あぁ 気持ちい!気持ちい!気持ちい!気持ちい!おま○こ気持ちぃぃ…

 

♥ア"ァ!!気持ちい♡

♣気持ちい!

♦気持ちい!

♥♣♦気持ちい!おまんこ気持ちい~ぃ

♣ぐはぁ!(致命傷)

♠「三人はどういう集まりなんだっけ?」

薔薇族

♣F.C.O.H.!

 

※♥♣♦はぁ♡はぁ♡はぁ♡はぁ♡おま○こ気持ちい♡

はぁ♡はぁ♡ハハハはぁ♡おま○こ気持ちい♡

おま○こ気持ちい♡おま○こ気持ちい♡わぁ^~~~♡

はぁ↓はぁ↑

    

♥♣♦おま○こ気持ちい♡おま○こ気持ちい♡おま○こ気持ちい♡おま○こ気持ちもちい♡

お♡ま♡○♡こ♡気♡持♡ち♡い♡わぁ^~~~♡

 

  (※繰り返し)

 

♥♣♦おまんこ気持ちい♡おまんこ気持ちい♡気持ち気持ちい♡おまんこ気持ちもちい♡

お♡ま♡ん♡こ♡気♡持♡ち♡い♡わぁ^~~~♡

 

♥「ウレシイ…ウレシイ… ウレシイ…ウレシイ…

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お題「好きな乗り物」

 

僕は父の車の後部座席が好きでした。

僕の故郷は車社会です。車が無ければ生活していけません。

学校の送り迎え、街に買い物に行く時、旅行に行く時…兄や母が助手席に乗るので、いつも僕は後部座席でした。

 

僕が物心ついた頃の我が家の自家用車は白の三代目トヨタ・カリーナ1600GT-Rだったと記憶しています。

今思うとかなりスパルタンな車だったと思いますが、カーステレオから浜田省吾が流れるカリーナの後部座席は今でもありありと思い出せます。

 

そんなカリーナもじきにぶっ壊れてしまいました。

その後5年位自宅で放置車両と化し、思い出深いカリーナは完全に朽ち果ててしまいました。エンジンオイルもチョコレートみたいになってました。

しかし数年越しでついに廃車にするという時、なんとエンジンがかかって自走したのです。世界のトヨタ車はすごいと思いました。小並感

 

そんな父親ですが、今はチェイサーツアラーvに乗っており、次はランエボに乗りたい等と言い出しています。そろそろヤン車はやめてほしい感じがします。

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お題「ブログ名・ハンドル名の由来」

 

ハンドル名とはすこし違いますが、同人イベント等に参加する際は個人サークルとして「おれのえ はいけい しろい」というサークル名で活動しています。

僕の絵の背景が常々白いのは事実なのですが、このサークル名は僕自身が考えたわけではありません。昔々見させていただいていた、とあるおえかきブログの副題からパク…拝借させて頂いた一節です。

 

 

もう10年も前の話になりますが、ぼくはテイルズウィーバーというMMORPGを狂ったようにプレーしていました。当時丁度厨房のクソガキだったので、ゲームでの言動を思い出すだけで頭痛がしてきます。

 

しばらく話がそれますが、このゲームの大きな特徴は、MMORPGにありがちなジョブが存在せず、固有の特徴を持つキャラクターを選択してゲームを開始するということです。このキャラクター達が織りなすストーリーイベントが醍醐味の一つとなっています。細かい戦闘スタイルの違いはあれど、キャラクターごとにできることは差別化されており、ジョブの代わりになっている感じです。

 

キャラクターが存在する手前、ファンによる二次創作も非常に盛んでした。

このゲームのせいで同人とか二次創作とかの概念を知ってしまってオタクになったと言っても過言ではないかもしれません。

おえかきを始めたのもこの頃で、テイルズウィーバーお絵かき掲示板なんかでも絵を描いたりしてました。当時の絵や馴れ合いを思い出すと自殺したくなります。

 

ちなみに僕はイスピン・シャルルというキャラクターを使用していました。
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男装ボクっ娘お姫様ニーハイツンデレと僕がオタクと化すには十分な要素が揃いすぎていました。

僕がやってた当時はそこまで強いキャラではなかった気がします。でもかわいい

 

話を戻しますが、同じイスピンを使ってゲームをされている方で、イラストをまじえつつブログでプレー日記を書かれていた方がおり、当時楽しみに見させて頂いていました。

そのブログこそがおれのえはいけいしろいだったのです。 

 

もう2〜3年前になりますが、初めて同人イベントにサークル参加しようと考えた時、ふと頭に浮かんだのが思い入れの深いこの一文でした。

その時、思い出したようにブログを探しましたが既にそのブログは消滅していました。

思い出が実体として残らないという点では、インターネットとは儚いものだなあと感じます。

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お題「最近見た夢」

 

最近家族で団欒している夢をよく見ます。

特に特別なことはなく、一緒にごはんを食べていたりテレビを見ていたりする夢です。

ぼっちなのでたのしい団欒の様子が家族しか思い浮かばないわけですね。

(実際結構な頻度で実家に帰ってめしを食ったりしています。)

 

しかし先日は少し変わった夢を見ました。

ひいおばあちゃんが家に元気に帰ってきた夢です。ぼくと会えてとても喜んでいました。

ひいおばあちゃんは、もう100歳を超えておりながら編み物をしたり散歩をする程元気だったのですが、昨年からそれが嘘のように衰え始め、今となっては施設に入り僕のこともあまりわからなくなってしまいました。

大学時代は帰省する度に喜んでくれていたのですが、人間、いくら元気に見えても時が来るとあっという間に衰えてしまうのだと痛感します。

今まで友人も誇れることも少なく、特別な存在にもなることもなかった僕の存在を喜んでくれた数少ない人物の一人でしたので、さりげなくも、しっかりと心に隙間ができたように感じます。

家族との死別はまだ経験したことはないですが、必ず全員僕より先に死んでいくでしょう。その数だけ悲しみ絶望しなくてはなりません。考えたくはないですが、その第一歩が刻々と近づいてきていることに恐怖を感じます。

 

ろくに親孝行もしていない自分ですが、両親も祖父母も飼い犬も猫も、何故僕に対して無償の愛を提供してくれているのか、ふと不思議になる時があります。

いつか僕にもそれがわかる時が来るのでしょうか。

 

ゴンテテ日記99

みなさん、お元気ですか?

 

世の中は不思議なもので、全く関わりがないはずの異邦の地同士でも、全く同じ概念があったり同じ道具が生まれていたりしています。

現代では通新技術が発達し世界中が繋がっていますが、それは歴史上ではごくごく最近からの話です。お互いの存在すら認知していない時代に、同じ概念が共通して誕生するというのは興味深いことです。

 

これは偶然でもなんでもなく、単純に形は違えど最も合理的な答えがそれであった、というだけの必然的な話だと思っています。それが一番効率的だったり納得のいくものなら、いつか必ず誰かが思いつき、そこにたどり着くと思うのです。

しかし、僕は一つだけ納得のできないものがあります。

 

それはトイレです。

 

世界的にみて、トイレにはしゃがむタイプのトイレと座るタイプがみられます。

しゃがむタイプのトイレ(我が国では和式トイレと呼ばれていますが)は、しゃがむのは辛いですし、汚れやすく清潔ともいえません。明らかに最も合理的な形ではないはずです。

普通に考えて、身体的に合理的な腰掛けるタイプのトイレへと進化していくことは明らかなはずです。それなのに和式トイレが現代にまで深く根付いているのは何故なのでしょうか?

 

その答えは、トイレの歴史的背景にみることができると考えます。

 

―――――――――――――――――――――

 

三連休を費やし、トイレの歴史と形態との関連性について研究していましたが、ここまで書いて非常に疲れたので、これ以上考察するのは諦めようと思います。

そろそろじん生に疲れてきたので5年くらい休みたいです。

洋式トイレは合理的な答えかもしれませんが、それは製造技術、素材、社会的な基盤が整備された現代からみたトイレでの話。

トイレは、単純に身体的な合理性だけで考えられないものであり、歴史的背景、そしてそれぞれが置かれた環境や人生に密接に関わりながら複雑に形づくられてきたといえます。

 

 

さて、バイクを店に預けてきたので本格的に冬やることがなくなってしまいました。

アウトドアは寒くて嫌になるので、冬の間は温かい部屋で絵の練習でもしようと思います。

うんこのことばかり話していても辛いのでゴンテテ日記100ではイラストメイキングなどをやってみたいです。

 

 

ゴンテテ日記98

うんこは一つの「終わりの形」です。

 

現代は苦難の連続です。最近、ついつい人生「ああうんこだなあ」と思ってしまいます。

なぜうんこなのか? それはうんこが「終わったもの」だからでしょう。

人生の世知辛さ、うまく行かなさ等の終末的な感情、そして自分自身をうんこに重ねているのです。

 

しかし、目線を変えて見るとどうでしょうか?

世の中にはどういうわけか、うんこがないと生きられない生物もいます。

代表的なのが、フンコロガシ等の、うんこを食料とする糞虫と呼ばれる仲間です。

うんこは、その動物が利用できないものを排出したものです。しかし、他の動物にとっては利用可能な栄養を含んでいるのです。また、消化の過程で新たに追加される成分もあります。

 

うんこだなぁ、と思うとき―残酷なことに、間違いなく自分はうんこなのかもしれません。

しかし、うんこでも必要としてくれる環境が確かにあります。うんこを食べ、うんこを家にして暮らしている生物もいます。

そのような場所を見つけるのは非常に難しいですし、生涯出会うことができないかもしれません。しかし、日々うんこを必死に磨いているうちに疲れ切ってしまったとき、そのことを思い出すのがいいと思います。

 

うんこは私達にとっての「終わりの形」ですが、誰かにとっての「始まりの形」でもあるのです。

 

ハァ〜うんこ カス

ゴンテテ日記97

今日は、インスタ映えするうんこの出し方について考察します。

 

女子高生を中心に、あらゆるシーンで「インスタ映え」が重要視される時代。オシャレなカフェや素敵なスポットに足を運ぶのもよいですが、どうしても貴重な時間と手間を惜しまざるを得ないもの。

 

ここはあえて自分の身の回りに目を向けてみましょう。自らに近しく、それでいてフォトジェニックな存在とは何か?

それはうんこです。

インスタ映えするうんこが出せれば、あらゆるインスタグラマーに差をつけられることは間違いありません。

 

やはり、最も視覚に訴えられる要素は色でしょう。カラフルなうんこは出せないのでしょうか。

 

答えはNOです。

 

カタツムリは、食べたものの色をしたうんこを出すことが知られています。

しかし人間はそうはいきません。

人間のうんこの色は、胆嚢から出される胆汁という消化液の色です。あの汚い色は消化管がしっかりと機能している証拠なのです。

赤、白、黒など、カラフルなうんこ――それはすなわち肉体の問題、それも多くの場合重篤な異状を意味します。

カラフルなうんこを出すには命をかけなければいけないので現実的ではありません。

 

形も、視覚に大きく訴える要素の一つです。

うんこは、毎日様々な形に姿を変えます。まさに青空に浮かぶ雲のように、二度と同じ形のものは出てこないのです。

 

うんこには物語があります。

うんこの化石が、考古学上で当時の食生活や環境を知る重要なファクターとなっていることからわかるように、うんこの背景を覗いてみるとそこには大きな世界が広がっているのです。

色という要素に頼らなくても、うんこからは数々の物語を感じることができます。

奇をてらう必要などなく、等身大のうんこそのものが最もフォトジェニックな存在であると考えます。

 

最後になりますが、うんこの話は置いておいて、現代ではインスタントに写真に映える要素ばかりを追求しすぎているように思います。

表面の見てくれだけではなく、その裏に広がる、そのものが持つ本質――すなわち等身大の姿こそが、最も美しいものであると私は考えています。